〜接点なきサポーター 〜
先ずストーリーだけを淡々と説明するとなると〜
斎藤数馬
小学三年生のとき、引っ越しの日
交通事故にあった。
その事故で、両親が亡くなり
数馬も頭に損傷をうけ、
記憶喪失となる。
その上、世界中で症例一人の
7人の人格を持ってしまう。
状態を安定させるため、
一生飲み続ける薬と一週間に
一度の検査を受けている。
数馬の病状は、希少な症例として
安藤先生が研究している。
治験者として、大学病院から
毎月一定の金額が払われている。
数馬の父親は、設計士で
中古の物件を買い
イノベーションして、
いよいよ住むという日の
交通事故だった。
原因は明らかではないが、
数馬の同級生である一ノ瀬は
責任を感じている。
引っ越しの日、数馬から
何かくれない?
と言われて
警報ベルをあげた。
一ノ瀬は、
からかうような、
ちょっとふざけた
気持ちであげた。
数馬が警報ベルだとは
気付かずに
引っぱった事で事故に
なったのでは??
と心に引っかかっていた。
数馬は、少しずつ状態が
不安定になっていく。
安藤先生は数年前から
気づいていたのに、
改ざんしていた。
やがて、
曜日ごとの自分が崩れていく〜。
初めての体験をワクワク
しながら楽しむが、
まもなくそれが恐怖に
変わっていく。
そして・・・・
・・・・・・・・・
そのまま、物語とすれば
交通事故のせいで両親を無くす
だけではなく、
自分も一生、後遺症に悩まされる
という暗い物語である。
しかしこの映画は
視点観点が全く別のところに
あり、全く暗い話でもなく、
ファンタジーであり、
主人公の成長物語、
そしてほんのりとした恋物語
でもある。
つまり、
現実そのままの状況が
全く逆転している世界?
ある意味
パラレルワールド?的な
・・要素もあるかもしれない。
それは、
映画の始りの映像!に
象徴されている。
交通事故の現場なのに、
ファンタスティックな
映像で始まる。
①ファンタスティックな映像
(夢の映像)
②夢の別世界(初めての図書館)
③花束を持ってスキップ・ジャンプ(子供の歓喜の表現)
④BGMの美しいクラッシック
⑤7人の存在(想像でワクワクさせる)
家の部屋やカップ、道具、植物が
7人の存在を現実のものと
印象付けられている。
・・・・・・・・・・・・・
○交通事故
暗い思い出(闇)↔ファンタスティックな映像
○斎藤数馬
多重人格(病気)↔個々の独立した存在(特徴)
・・・・・・・・・・・
普通なら、
多重人格は病気であり、
一人の自分になることが
完治であると考える。
しかし、この映画は、
全く逆転している。
一人一人が大切な人格であり
存在しているのである。
・・・・・・・・・・・・
書いていて
収集がつかなくなって
しまったが、
リピートしてしまうのは、
○きれいな映像が脳に良い印象を与えている。
○クラッシックによって、
上品な映画になっていて
心地がいい。
○悪い人が出てこない。
唯一、無理矢理言うとすれば
新木先生。
しかし新木先生は、
普通に常識人なのだろう。
・・・・・・・・・・・
そしてリピートしたくなる、
最大要素は、
役者、中村倫也の圧倒的な
演技力の
スゴさにほかならない。
この映画を初めての観たとき、
他の6人はいつ出てくるのだろうと
待ち遠しかった。
予告ナレーションで
あまりにも7人の僕!
の印象が強かったせいだ。
そして・・・
やっと出てきたのは、
ラスト間近〜
水曜日〜木曜日〜金曜日〜土曜
日〜日曜日〜月曜日
その映像を観ながら、
私はニヤニヤしていた
かもしれない。
その自然な〜
なんとも力の抜けた、
そのままの〜
気合を入れて、
違いを出して演じました!!
という感じがまるでない!
ゆるっと〜自然に演じている。
そこには本当にそれぞれの
人となりが存在していた。
それがなんとも心地良い・・。
○それぞれの朝のベッドで目覚めるシーン。
それぞれの違いが絶妙に面白い。
○終盤
月曜日が最後に残るのに、
火曜日のふりをする。
ちょっとした仕草で安藤先生に気付かれる。
月曜が火曜のふりで掃除をする。
階段、水やり、そしてミロの作り方。
そもそも、一ノ瀬に火曜日は
ミロを作らないはず。
あのソファーには
火曜日は座らないはず。
火曜日と一の瀬の会話は、絶対向かい合わないはず。
最後向かい合って話す(月曜日)
・・・・・・
しかし最後の卓球のシーン!
火曜日の成長が見えた。
*シャツの出し方、微妙な表情の違い。
火曜日は月曜日とちょっと
混じり合ったことで、
成長につながった。
(ちょっと月曜が混じった)
*月曜も火曜日が、
ちょっと交じることで
優しくなった。
まだまだ、語り尽くせない〜
これはもはや、
中毒性につながるのかも
知れません。
#中村倫也#水曜日が消えた