〜接点なきサポーター 〜
役者は基本、演技は上手いもの。
役者は、与えられた役を演じる。
当たり前だが、演じている。
しかし
「中村倫也」さんは
演じてはいない・・・・
おかしな話をしているが
でも、演じていない。
その人がそこにいる。
浅羽拓実がそこにいる。
斎藤数馬・・
月曜くんがそこにいる。
火曜くんがそこにいる。
水曜くんがそこにいる。
木曜、金曜、土曜、
演じ分けているのではなく、
そこには、ちゃんと
その人物が生きている。
憑依体質でもない!
演じてもいない。
人間がいる。
人は、単純ではい、
いろいろな面を持っている。
と彼は、言っている。
確かにそうだ!
彼は、完璧に人物像を作らず
現場で、登場人物と絡んで〜
と言っている。
・・・・・・
浅羽拓実がそこにいれば、
浅羽拓実は、
その場で自然に反応する〜。
だから、
演じているのではなく、
そこには、
浅羽拓実がいるのだろう。
もう一度みたい!
と思うのは
何度も
見ていると剥げてしまう、
薄い人物像ではなく、
何度見ても、剥げてしまわない
本当の人物がそこにいて
私達の
心に響くのだろう。
だから
沼に落ちる・・のか!
私は、断固せせらぎに、いる。