〜接点なきサポーター 〜
『狐晴明九尾狩』第十景
パイフーシェン(利風)を倒し
無表情の晴明・・・
そしてラストへ
晴明
喜怒哀楽。僕の分まであなた方が泣いて笑って悲しんで喜んでください。僕はそれを見る。精一杯生きるあなた方を見ることで、僕も人である自分を保ち続ける。それが僕の護ったものですから。
(戯曲本から引用しました。)
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これって。
マダム ヴァイオラさんが書いていらっしゃることですね。
ラストの場面が、ストン!と腑に落ちました。
だから、自他主義の晴明は、
どんな理由であれ利風を殺して
(実際にはすでに利風は殺されてしはいされているのだが、印は生きていた。)
しまったことに耐えきれず自分の
喜怒哀楽を自分で消してしまったの
かもしれません。
*マダム ヴァイオラさんのブログを抜粋引用しました。
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中村倫也の晴明は、「人間と狐から生まれた」と噂されるような、すこ〜し人間離れした感じがちゃんと備わっていた。いつも地面から数センチ浮き上がっているような、ふわふわした、捉えどころのない感じがあり、凄く自我の薄い人だった。利他主義を絵に描いたような人物として造形してた。怒りも憤りも戦いも愛も、全て自分のためではなくて、身体すら自分のものではないような感じ。目がいつも遠くを見ていて、光が宿ってる。そういう晴明として、片時も揺らがずに舞台にいた。
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