〜接点なきサポーター 〜
ツイートの中で、紹介されていました。
読んで驚愕しました。
*以下は記事を抜粋引用しました。
あまりにも素晴らしい表現でしたので長く引用させて頂きました。
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こんなに美しく、こんなに狂い乱れる中村倫也が観たかった
そして、本作をたとえDVDでも一見の価値ありと思わせてくれるのが、ゼラを演じる中村倫也だ。このゼラは、俳優なら一度は演じてみたい役だと思う。だけど、ゼラに選ばれる俳優は限られている。凍りつくほどの美。圧倒的なカリスマ性。劇場全体を支配する磁力。愚かしいほどの脆さ。そのすべてを持ち合わせていなければ、とてもじゃないけれどゼラは演じられない。
そんな選ばれた俳優のひとりが、中村倫也なのだ。中村倫也の美しさには、男だとか女だとか、そういった表面的なカテゴリーを超越したものがある。赤く塗られたリップ。白い肌。涼やかでありながら残虐な目。ゼラを演じる中村倫也には、人を虐げ踏みにじっても、それすら彼をより艶めかしくするためのマキアージュだと思わせる帝王感がある。いかにゼラが暴虐な君主であったとしても、観客は彼に組み伏せられることにある種の恍惚を覚えてしまうのだ。
よく通る低音の声は舞台では一層際立っている。難解な台詞をいかに早口で畳みかけようと、その一音一音が決して濁らない口跡の滑らかさは、俳優というものが技術者であることを証明している。だから、彼の台詞は心地いい。
舞台の台詞回しは、映像に比べてもスピードが早いことが多い。それは、映像に比べ視覚情報が少ない舞台で、観客を飽きさせず物語に没入させるための手法のひとつではあるが、流れてくる台詞が聞き取れないとノイズでしかなく、没入どころか、同じ空間にいるはずなのに、どんどん舞台が遠くなっていくような疎外感を引き起こす危険性も孕んでいる。
けれど、中村倫也の芝居にそんなストレスは一切ない。おそらくリズム感と耳がいいのだろう。決して文節で区切ることなく一息で長い台詞を吐きながら、それでいて必要な単語に抑揚をつける。感情がいかに高まろうと、声は荒くなっても音は潰れない。
今でこそ映像の印象が強い中村倫也だけど、本人も若い頃から舞台をやりたかったと語っており、「演劇がホームグラウンド」と言ってはばからない根っからの舞台俳優。その演技基礎は、間違いなく演劇にある。彼が2006年の初舞台『黄昏』から積み上げてきた俳優としての技術の粋を存分に味わえるのが、この残酷歌劇『ライチ☆光クラブ』だ。
帝王と称えられるゼラだが、決して完璧な悪ではない。むしろ、脆く、幼稚な、子どもだ。裏切りに翻弄され、疑心暗鬼に陥り、発狂するゼラ。これだけ感情を放出して、どうやって正気を保っていられるのだろうとこちらが心配になるような演技を中村倫也は見せてくれている。ぜひ舞台の中村倫也をまだそれほど知らないという方は、この機会に観てほしい。中村倫也のすごみにきっと惚れ直すはずだ。
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https://news.line.me/articles/oa-rp87552/ed5ac155047c
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