airaingood’s blog

2023年3月25日大安吉日、中村倫也さんが水卜麻美さんと結婚したことを公表しました。これからも、応援していきます。

中村倫也company〜「長〜いインタビュー」

〜接点なきサポーター 〜

記事引用です。

中村倫也さん「THE やんごとなき雑談」インタビュー 「自意識」が砕けたら、変な悩みも減るんじゃない?

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文:根津香菜子 写真:篠塚ようこ
 俳優の中村倫也さんが、初めての著書『THEやんごとなき雑談』(KADOKAWA)を3月18日に上梓しました。本書は、2018年から約2年にわたって月刊誌「ダ・ヴィンチ」で連載した「中村倫也のやんごとなき雑談」に書き下ろしを加えたもので、自意識過剰でモテたかった学生時代のエピソードから、ブレイク後に感じたとまどい、自粛期間中に感じた不安まで、その時々で自問自答しながら答えを探した中村さんの思考を綴ったエッセイです。



本音を出すのは「恥部中の恥部」
――タイトルの「やんごとなき雑談」は中村さんがご発案されたそうですが、改めてこのタイトルに込めた思いを教えてください。

 連載の最終回でも触れていますが、自分にとっての「免罪符」の意味でもあるんです。素人の僕がエッセイを書くということで、ジャンルとかも絞らずに幅広くしておかないと先々書けなくなるだろうなと思い「ダメなものもいいじゃない」的な、“ええじゃないか運動”をしてみました(笑)。

――古語で「尊い、貴重な」という意味の「やんごとなき」と「雑談」を組みわせたのはなぜですか。

 「やんごとなき」は、確かこの連載を始める頃に仕事に関わる何かで聞いたワードだったと思います。元々語源とかを調べるのが好きなんです。ニュアンスでとらえていても細かい意味はよく分からないなと思うことは生きていてたくさんあって、そういうことは割とすぐに調べるんですけど、それで意味を知って自分の中にインプットされていた単語で「雑談と組み合わせたら、なんかいいんじゃん!」って感じで決めました。雑談は普段からよくしますし、好きですよ。

――とりとめのない話の中に、意外と面白いことやヒントがあったりしますよね。

 そう。なので、何かのはずみでそんな存在になれたらいいなって思いながら進めた雑談なんです。
――毎回どんなテーマで書こうかというのは、どうチョイスされていたのですか?

 その時自分がポーンと思ったことや何か出来事があればそれですし、そういうものがなければ考えるんですけど、テイストとしては前の月とは違うものを、と思ってやっていましたかね。テーマを決めたら、例えば自分の内面に入っていくような時はずっと細かく自問自答していきますし、出来事や感覚など外にあるものについて書こうと思ったら「どんな伝え方をすれば読んだ人に面白がってもらえるかなぁ」とか、それに対して思ったことを探って繋げていく、といった感じです。

――芸能界でお仕事されている方ってやはりどこか遠い存在に感じますが、このエッセイで中村さんがこれまでどんなことを思い、悩んでいたのかを知ることができて、少しだけ内側を覗き見できたような気がしましたが、ご自身では本音をさらけ出すことを「恥部中の恥部」だと。

 本当にお恥ずかしい限りですよ。今日もいくつかこの本の取材を受けているのですが、恥ずかしいから何をしゃべったらいいのか分からないんですよね。なので「本が出版になります」となって、うまいこと饒舌に語れる性格だったらよかったなって。今、エッセイのネタが一つできました(笑)。それに「これ、需要あるの?」って話ですし、役者にとっては別に出す必要のないことだったりしますからね。そういうトータルで見て、お恥ずかしい限りですって感じなんです。


「自意識」とおさらばできたら
――以前「ダ・ヴィンチ」のインタビューで「20代まではなかなか自分をさらけ出せずにいたけど、30代になって『これで嫌われても、もういいや!』と思えるようになった」といったことを仰っていましたが、そう思えるようになったのは何か理由があったのでしょうか。

 極論を言うと、そんな自分に面倒くさくなったんじゃないんですかね。だから今も、恥ずかしがっている自分が面倒くさいんですよ。それをワードで使うと「自意識」になってしまうのかもしれないのですが、今でも「本当の奥底を出したら多分嫌われるな」みたいな感覚が自分の中にあります。きっと人には色々とヤバい部分もあるじゃないですか。それを人として出さないというのはもちろんあると思うけど、それ以外に「人からこう思われたい」とか「嫌われたくない」っていう思いは年々なくなってきていますね。何でなのかは分からないけど、いつの間にか「ま、いっか」って思えるようになっていたんですよね。

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――連載1回目の「自意識の塊、夜の空を飛ぶ。」のタイトルにもある「自意識」は、その後もたびたび登場するワードです。ご自身の自意識の強さについて自覚されたのは小さい頃からなのですか?

 多分そうだと思いますね。小学生の時は「クラスのみんなが俺のこと好きだ」と思っていましたから(笑)。僕は高校で初めて地元の地域以外の場所に通うようになったのですが、色々な所から来る色々な人と接するようになった時に、本当にカルチャーショックだったんです。

 「廊下側、後ろから二番目の男」の回はその時のことだったりもするんですけど、そこからどんどん、自分のテリトリーだった場所以外の、ある種の組織や団体の中での自分という目線が増えていったんでしょうね。高校在学中に俳優の仕事も始めていたので、社会という場所での自分というのも考え始めていたし、その時代の環境の変化に置かれることで自分というものを考えるようになりました。

――あとがきにも「一緒に僕の自意識を追い出す手伝いをしてください」と書かれていますが、やはり自意識とは“おさらば”したいですか?

 おさらばできたらいいですよね。礼儀とか誠意みたいなものはもちろん大事ですけど、世の中もっと「自意識」が砕けたら、変な悩みも減るんじゃねぇの?と思ったりもしますし、それは僕自身も同じことで。自意識は邪魔ですけど、それを含めて人間だったりもするから、実際は大事でもあるんですけどね。

「諦める目星」がついた
――このエッセイを書くことで、自意識との向き合い方を見つけることはできましたか。

 諦めみたいなものはついてきましたかね。連載を書くというのは、毎月毎月潜る必要のない自分の中の深層に行って探す作業が必要で。それが大変なんですけど、そうやって自分と向き合うことで整理されることもあったりしますし、向き合う労力によって見切りがついたりすることもあるじゃないですか。そういう意味では、この2年間連載をやってきたことで「諦める目星」みたいなものはついてきたかなと思います。
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――本作を書くにあたり、時間を見つけてはエッセイの名著を何冊も読み漁ったそうですが、例えばどんな方の本を読まれましたか。

 芸人さんや小説家の方、文化人の方が書いているエッセイなど色々読みましたね。みなさんインプットが変わっているように見せて、アウトプットで変えているような部分もあるんだろうなと読んでいて感じました。表現としてのインプットからは、そうそう面白いことって実はこの人たちはもうないんじゃないかなと。でも、一つのものをどこまで育ててられるかが、センスや能力なんだろうなと思いました。

 僕も「こんなことが面白かったかもな」と、しょうもない種をぽっと出して書いてみても、育たないこともいっぱいあるので。でも諦めずに色々なことから考えて「育てー!」と思いながらそこに水を注ぐ、みたいなことはしましたし、「こうしたら面白くなるんじゃないか」とか「こうしたら何らかになるんじゃないのか」というのはすぐに捨てないで、頑張れるようになりましたね。そういう意味での執念・執着を持つようになったと思います。

役者をして失った楽しみは
――普段はどんな本を読みますか?

 小さい頃は『かいけつゾロリ』や『はだしのゲン』を読んでいましたが、実は僕、本はほとんど読まないんです。年がら年中、脚本は読んでいるんですけどね。今好きなジャンルはノンフィクションです。きっと自分がフィクションの世界の人間なので、創作物じゃないものの方が好きなんだろうなって自分でもよく考えます。多分それは、自分がこの仕事をしていることで失った楽しみの一つでもあったりするんです。

――連載の中でも特に「呼吸」の回が印象に残っています。これまでは「僕」と一人称を使っていましたが、この回だけ「男は」「彼は」と三人称で書かれていますよね。

 バリエーションというか、色々なテイストのものがあった方がいいなと思った一つに、「三人称視点」みたいなものをやってみたいなという思いがあったんです。ちょうどこの回を書く前に「ダ・ヴィンチ」の取材があって、平野啓一郎さんの『ある男』という本を持って撮影させてもらったんですが、その前に編集担当の人から「中村さん好きだと思う」とおすすめされて読んでいて「この平野さんの文章から感じた“平野節”みたいなものを取り入れることができるかな」っていうことで取り掛かってみました。

 あとは、この時自分が結構病んでいる時期だったので、それをそのまま一人称で書いてても読む方も僕もしんどいので、ちょっとワンクッション挟みたいなと思い、こういう風に書きました。

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誰かの何かになってくれたら
――イラストも毎回中村さんが描かれたそうですが、最終回の「やんごとなき者たちへ」のイラストは、1回目のものを反転させたようになっていますよね。ここに描かれている中村さんは、この先どこに向かっているのでしょうか。
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 僕としてはM78星雲に帰るウルトラマンの気持ちなんですけど、イラストは話を決めてから描いたので、思いつきのノリなんです。でも、連載の後半や最後の方は書籍化するにあたってのパッケージみたいなことも考えるので、最初と最後の回は内容もちょっとリンクしていたから「じゃあ1回目と最後の回を扉の前と後ろにしてイラストを変えたら面白いかな」というちょっとした遊び心でもあり、連載では気がつかないけど「本になった時に気づく人いるかな?」っていう思いで描きました。あとは頭と終わり、開幕と閉幕の意味合いもありますね。

――私調べですが、連載全26回(書き下ろしは除く)のうち「自分のやったことが誰かの笑顔になるなら」や「人に楽しんでもらいたい、笑顔にしたい」といったことを5回書いていらっしゃるんです。

 すごい、聖人君子じゃないですか。よくできた人だ!(笑)

――こういう思いを抱くようになったのはいつ頃からなのでしょう。

 多分小さい頃からそれが根っこにあるんですよ。それを自分でも薄々感じていて、例えば球技大会ってあったじゃないですか。僕、運動が得意だったので大活躍できるんですけど、自分が活躍するよりもあまり運動が得意じゃないクラスメイトに最高のお膳立てをして、その子がヒーローになって勝つ、みたいなのがすごく好きな子供だったんです。「みんなで」っていうのが好きなんですよね 。

 こうして大人になってからも、役者の仕事もそうですが、受取手に何らかの変化が起きないとやる意味がないと思っていて。この連載を始める時、どういうジャンルやテイストにするかとかは何も決めなかったけど、自分の中にあったのは「誰かにとっての、何らかの何かになってくれたら」ということでした。それが笑えるものなのか勇気が出るものなのか、一息つける場所なのかは分からないですけど、その思いだけはあったんですよね 。

 自分で言うといやらしい感じになりますが、その思いは僕の根っこに間違いなくあるもので、そうじゃないと、この本も出す意味がないですしね。でもその「何らか」は狙ってできるものではないですし、自分でも思いもよらないところから誰かの心に響くかもしれないし、そうあってほしいなという願いも込めた「やんごとなき雑談」だったりするんです。

――今回はエッセイでしたが、今後、小説や物語のご執筆もされないかなと勝手に期待をしています。

 そんな大した事、書けないですよ! そもそも、僕はそんなに文章うまいんですかね? 自分ではよく分からないです。

 僕は人から「うまい」って言われることも、 こうやって「次も期待しています」と言ってくださることも信じていないんです。それはきっと僕の自意識なんですよ。だから一緒に追い出してもらわないと!

お話を聞いた⼈

中村倫也
(なかむら・ともや)
俳優。1986年生まれ。東京都出身。2005年に俳優デビューし、14年に初主演舞台「ヒストリーボーイズ」で第22回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。その後、NHK連続テレビ小説半分、青い。」、ドラマ「凪のお暇」(TBS系)、映画「水曜日が消えた」、「ファーストラヴ」など数々のドラマや映画、舞台に出演。待機作に、映画「騙し絵の牙」、「100日間生きたワニ」(声優)、ドラマ「珈琲いかがでしょう」(テレビ東京)がある。

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