〜接点なきサポーター 〜
「中村倫也」さんは
「水曜日が消えた」の7役
について、大変でしたか?
と質問されても、
「大変ではない」
と言うような回答をしています。
何故なのでしょう。
そもそも、普通の俳優さんは
演じる上でどのように、
役に入るのでしょう。
まあ、
それは俳優さんによって様々
でしょうが〜。
それはさて置き
「中村倫也」さんは??
どうなのでしょう?
「カメレオン俳優」よりも、
変化する「ミミックオクトパス」
とか〜仰っる根源は・・ ??
例えば普通、
Aという俳優さんが
Bの役を演じる。
Aという俳優さんが
Cの役を演じる。
つまりAという俳優さんがが
BとCを演じ分ける感覚ですね。
しかし、「中村倫也」さんの場合
面白い言い方をすると、
倫也さんの頭の中のコンピュータが、Bという人物を構成します。
または、倫也さんの、頭の中のコンピュータが、Cという人物を、構成します。
つまり、
人物像を細部細かいところまで
作り上げます。
データを集めて(これまでの経験)
頭脳的な役作りです。
どういうことか??
というと、
Bさんの人物像
台本〜
○大人しい
○パソコンが得意
○友達が少ない
などの情報から、
細部まで作ります。
寝起きの様子、
歯の磨き方、
歩き方、
話し方、
声のトーン、・・・などなど
またCの人物像
台本の情報をもとに
・・それぞれ細部まで作ります。
・・・・・・・・・・・・・
つまり、
何人の役が出てきても、それぞれ
独立しているので、
演じ分けるでは無く、
倫也コンピュータのデータで
完全に演じるので、
BとCは
混ざらないのです。
同時に複数を演じる
場合は流石にどこかで
限界はあるでしょうが、
他の俳優さんとは桁違い
で、
演じることができるでしょう。
・・・・・・・・・・・・
Bという、しっかりとした人物像
が存在する。
Cという、しっかりとした人物像
が存在する。
つまり、「中村倫也」さんは、
かなり論理的に演じている
もしかして
めんどくさい話になってます??
ここで、わかりやすく・・
吉野監督の対談から〜
「水曜日が消えた」
の、火曜日が初めて
図書館に入るとき、
2パターン撮ったそうです。
①子供達だけ・・のあとから入る
②子供達と親・・のあとから入る
火曜日くんの性格は、
①の場合は、
子どもたちのあとを
楽しそうに入っていく。
②の場合は、
親のあと少し離れて入っていく。
火曜日のシャイで
人見知りの性格が、
出ていますね。
とういように、火曜日くんの
人物像がしっかりと
出来ているからこそ、
①と②の違いが
明確に出たのですね。
面倒臭い話・・すみません。
結論
「中村倫也company」は
頭の中にコンピュータが、ある。
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